(xxstoneから)
Fujimori's Log
「帯をギュッとね」という柔道漫画で、楽しい練習ばかりじゃ勝てない、苦しい練習じゃなきゃダメだ、という考えは、苦しんだから勝たせてくれという甘えだ、というような話があったのだが、これは鋭い考え方だと思う。
— Twitter / NaokiTakahashi (via igi)
(satellliteから)
■病状 ・「孤独な成功者」になる ・1人の100歩ではなく、100人の1歩で進むことができる ■「任せる」とは「失敗させる権利を与えること」「自分でやった方が早い病」とは
・「自分でやった方が早い」という考えに陥る
■2つの発症パターン
・まわりよりも自分ができてしまうから
・相手に悪いし、お願いが下手だから
■かかる人
・仕事ができ優しい、30代の新人リーダーに多い
■病の原因
・「人のため」と言いながら自分の利益しか考えていない
・まわりの人と一緒に成長しようとしない
・基本的な教育ができていない
・エースピッチャーの快感に浸りマネージャーの喜びを知らない
・自分大好き人間病状が悪化すると
・仕事を抱え込み、病気も抱え込む
・つねに「誰かのせい」にして生きることになる
・笑顔と余裕が消える
・いつまでたっても優秀な人が現れない
・誰も信頼できなくなる 誰にも信頼されなくなる
・仕事が途切れると、年賀状も来なくなる克服できると
・まわりができる人だらけになり、大きな仕事ができるようになる
・友達もお金も増える! 昇進、昇給もできる!
・より大きな幸せを感じることができる
・「自分がほめられるための仕事」ではなく本当の仕事ができる処方箋
・失敗の経験を積ませるのが上司の仕事
・失敗は短期的な成果、効率を見た場合の評価
・育てる、任せるから見た失敗は、成長
■まわりの人をヒーローにする
・損な役回りを引き受けてみる
・目先の損を取って、長期的な得を得る
■「任せる」は「仕事をふる」ことではない、と理解する
・仕事は責任とセットで任せる
・責任も与えれば、ふられたほうも俄然やる気になる
■自分のコピーをを作ろうとしてはいけない
・自分がトッププレイヤーだから、つい自分のやり方が正しいと思いがち
・部下に仕事を任せた以上、部下のやり方に口出しはいけない
■計画と検証は一緒にやり、実行は一人でやってもらう
・リーダーの仕事は、P(計画)、C(検証)、A(改善・仕組み化)を全力を注ぐ
・D(実行)の部分は部下に任せる
■あえて70点のマニュアルを作る
・残り30点は部下が自分で考える部分
・独自性を発揮できるように余白を用意しないと、マニュアル人間になってしまう
— 自分でやった方が早い病 (星海社新書)(小倉 広)のまとめ 〜 本の要点まとめサイト【ブクペ】 〜 (via flatmountain)
(satellliteから)
サンタクロースは中流以上の家庭にしか現れない資本主義の豚ですよ。
— Twitter / kimagure (via rpm99) (via kml) (via shinoddddd) (via nemoi) (via hustler4life) (via fukumatsu) (via mizushike) (via sinitai) (via gkojax) (via kudan) (via newroutine)
2009-12-25 (via gkojay) (via mnak) (via ipodstyle) (via yaruolikes) (via yaruo) (via mcsgsym) (via katoyuu) (via hsmt) (via fuhaku) (via toutiku-m44) (via f-sugar) (via gkojay) (via fuhaku) (via toutiku-m44) (via kourahiiki-no-ahou) (via flatmountain) (via jam343) (via yagik) (via clockworoks) (via ponchak) (via bokkou) (via nasubanana) (via casiomasasi) (via mmmmmmmmmy) (via satelllite)
自分自身が作り出すものこそが自分自身だと考えるのなら、大量生産技術の発達でもう自分の手では何も作ることができなくなっている我々にはもはや自分自身なんて存在しないことになる。けれど、実際のところ我々はその大量生産されたもののうち、なにを自分のものとして手に入れて、何を自分のものとして手に入れないかによって自分自身をかたちづくっている。何十年も前から。 tumblrのreblogが、”個の喪失”とか”主体の消滅“という印象を与えるのは、その昔金物屋さんといったら自分でやかんをたたいて作るひと、だったのが、大量生産されたやかんを売るひと、に変化して行ったタイミングで、自分のやかんを作りだす金物屋としてのアイデンティティの喪失をおそらく感じたのとおんなじだ。
いまtumblrで、ブログといったら自分で何か考えて書いて読んでもらうもの、という時代から、ちょこっとreblogしてpublishして人に見てもらう、という大量生産時代に移り変わっている。この状況に、自分の持っていたブログの生産技術がInstant, no-overhead tumblelog で大量生産されるエントリに圧倒され、とってかわられるところに、アイデンティティの喪失、つまり”個の喪失”や”主体の消滅“を感じているのかも。
—
tumblrのreblogで消えるもの « ku (via tnoma)
ブログも、その多くはメディアや他のブログなどからインスパイアされて、書かれることが多いと思うのですが、その「付加価値」の部分がどんどん小さくなっている気がします。
これは既存メディア(特に報道分野)でも言われていた話で、テレビや新聞は「速報」という付加価値が大きいので付加的情報(コメンタリーなど)は少なくても総合的には付加価値がある。それに対して、雑誌では速報性で劣るので付加的情報(俯瞰やまとめ含む)がないとお話にならない、とか、でも雑誌はすでにオーディエンスを絞り込んでいるので、深く書いても大丈夫とか(私は雑誌メディア出身なので、この視点)。
なのでtumblrやtwitterなんかは、ソーシャルな切り口による付加価値(自分では興味を持っていないから本来では自発的に入手しない情報など含む)があるかどうかが、一つのカギかなぁと思う訳です。例えばtumblrする際に、コンテンツの全体でなく一部を切り取って引用する、というのは、そこに情報を切り出す、という付加価値があると思います(友だち同士で「あの映画のどこが面白かった」という場合に、一人一人が違う場面を切り出すように)。
そして、なぜこれをreblogしているのか、という意識に、再び立ち戻ってしまいました。これは本来、ふつうのblogで書くべき内容(私であればここ)ではないか、と。ちょっとしたメディア論だし…
(via nseki)
(via otsune)
reblogは「生産」でも「消費」でもなくて「(リ)サイクル」であり、何かを外部に拡張するという文明のパターンとしていえば、自己の情報体験を外部に拡張・公開したもので、つまり、やはり「脳みそ、だだ漏れ」が一番近い気分(笑
そこにあるものは生産物ではなく、自分自身の体験課程(の断片)だけ。
別の言い方でいうと、情報のDIYなので、それを既存の完成品生産者がなんとかしようとしても、なかなか無理がある。
なにせ、ここで価値があるのはベストワン(完成度)ではなく、オンリーワン(独自性)だから。
関わるのであれば、DIYに適したパーツや素材の提供という市場を作る方がコントロールしやすいだろうなぁ。
しかし、この「だだ漏れ」、そういうことに対し鈍感であるか、いっそ露出癖がないと続かないし、そういうものを嫌悪する人は、たぶん見たくもないものだろうなぁ…^^;
(via asobiya)
あとで読むためにとりあえずreblogしておく。
(via alisato)
ミームの伝達が可視化されているのか、と思うことはあります。
(via booksinflood)
(via syoichi) (via yaruo) (via rioysd)
おかえり!
(via tnoma)
quoteのreblogは元記事を見にいくと2度おいしい。
(via masakick
)
これいいな。
(via yamato) (via gkojax) (via nopnop)
(via hustler4life, tnoma) (via yaruo)
(via hagakuresoh) (via satelllite)JAYPEGクリエイティブコンテスト第一回入賞作品 [ミュージックプレイヤー部門]
ミュージックプレイヤー部門 入選作品
1位: drop player - ecshi
2位: MUSIC PLAYER UI - 38inside
3位: Emotional Player - yoppy
(canaliarから)
お金はね、あるんだ。自慢に聞こえたらアレだけどさ。 会社に入って二年経ったくらいの頃、欲しいものはもう一通り買ってしまって、どうにも金が余るんで寄付ばかりしてた時期があってね。そのころにフォスター・プランってのに参加したことがある。なにかっていうと、貧しい国の子供達に教育を受けさせるための募金なんだけども、参加するとその子供からお礼の手紙が届くんだ。お礼って言ったら変だな、こう、学校の写真とか、家族の写真とか、学校で習ったこととか、将来の夢とか、そういうのを綴った手紙。でも、まあ要はお礼だよね。ぼくのときはネパールだったけど、ガネシュ君って七歳の子から手紙が来てさ。まあよく出来た手紙でね、最後は「ぼくが一番好きな国は日本です。大人になったら日本で働きたいと思います」で結ばれてたよ。ぼくはもう即効で破り捨ててガスコンロで燃やして、それっきりぱったり寄付をしなくなった。 たいした金額じゃないんだよ、ぼくが寄付したのは。百年続けてやっと日本の大学の四年分とか、そんなもんだね。それっぽっちの金でそんなことまでさせちゃうわけよ。「一番好きな国は日本です」だよ? そんなことを七歳の子供に言わせてるぼくは一体なんなんだろうって思うじゃない。ただ生まれた国が違うってだけでさ。一日バイトすれば稼げるくらいの金を送った程度のことでさ。それに、何より嫌だったのは、その手紙を読んだ瞬間、ぼくはこれをやりたくて募金をしてたんだ、って気付いちゃったんだよね。ぼくは無償のつもりで募金をしてたけれども、心の底ではずっとああいうものを期待してたんだ、って。
— Make Me Believe - 春巻たべた (via ginzuna)
(satellliteから)